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・・・というわけで、せっかくブログに10回にわたって連載した内容なので、ここに再録したい。
ブログという別の場所に書いたものをここに載せるのは「手抜き」という気もするが、過去記事として彼方へ流れ去ってしまうことが、じぶんでも惜しいと思うのだ。
ブログの文章には引用が多くて気がひけるが、書き直すのもたいへんなので、基本的に掲載時のままである。
読み返してみると、熱にうかされたように、よくぞここまで書き続けたとものだ思う。
● 『静かな大地』 再読日誌 〜 ブログ 「晴れときどき曇り」 から再録 〜
静かな大地(1)
池澤夏樹『静かな大地』の読中感想記≠始める。
この小説は15の章から成る。今日は、最初の章「煙の匂い」を読んだ。
のっけから複雑な語り口で、前回はじめて読んだときは正直なところイライラしたが、今回は池澤さんのよく考えられた文体に感心した。例をあげると
<その晩は父上は帰って来なかった(と父は由良に話した)。>
<東京は好きではなかった(と父は話した)。>
つまり、この章の語り手は「父」と、その幼い娘の「由良」なのだが、「父」が娘に話し聞かせているのは、自分の父親(父上)といっしょに北海道に渡ることになった、幼い頃のエピソード。時代は明治維新直後、淡路島から北海道に入植することになった、元武士の一団の苦労である。
屯田兵制度よりも前に、こんな形で故郷を追われるように北海道(まだ蝦夷地という言葉が残っていた当時)に渡った人々がいた、ということに驚く。
背景には、徳島の阿波藩と淡路島の家臣との葛藤があり、明治維新期の混乱がある。ほとんど体ひとつ、身のまわりのわずかな家財を船に積んで、日高の静内に渡った人々。それを、幼い少年(由良の父)の目で、じつに生き生きと描いている。
印象的なのは、次の一節(少し長い引用になる)。
三郎というのは「父」(志郎)の兄である。
<蝦夷地には誰がいますか、と三郎はたずねた。
蝦夷地には蝦夷の民がいる。昆布を採り、鮭や鰊を獲る者たちだ。田は作らず、町を営まず、山野と海で暮らしている。
蝦夷地は日本ですか、と重ねて三郎が聞いた(と父は由良に話した)。
さあ、そこだ、と父上は言われた。
もともとは日本ではなかった。大名もおらず、百姓が田を作ることもない。・・・別の国だったと言ってよい。いや、あそこには国というものがなかったのかな。>
そう、蝦夷地はアイヌの人たちの「静かな大地」だったのだ。
そこに入植した日本人≠ニ、アイヌの人たちの微妙な関係が、この小説の底を流れる通奏低音である。幼い三郎、志郎の兄弟が、チプ(丸木舟)で迎えに来たアイヌをはじめて見たときに感じた、彼らの印象は感動的だ。
<私と兄は最初にアイヌを見て、あの面構えと、分厚い毛深い強そうな身体、速やかに舟を漕ぐ腕力、堂々とした態度、・・・よく通る声、そういうことに夢中になった。兄と私の目にはすべてすばらしいものと映った。私たちは彼らに夢中になり、それは終生ずっと変わらなかった。>
(2005/10/21 PM10:22:44)
静かな大地(2)
池澤夏樹 『静かな大地』 の2章(最初の夏)、3章(鮭が来る川)、4章(札幌官園農業現術生徒)と、読みすすんでいる。
「最初の夏」 初めの章と同じく、父(宗像志郎)がまだ幼い娘の由良に語る、昔物語だ。
淡路島から渡ってきた最初の夏≠ノ、幼かった三郎と志郎の兄弟は、アイヌの少年オシアンクル≠ノ出会い、ともだちになる。 こういうケースは特異である。 和人の親たちは、子どもがアイヌと親しくなるのを嫌っていたから。
三郎、四郎の父は、元士族でありながら、そういうことにこだわらない人だった。
彼ら兄弟は、アイヌの友人オシアンクルと互いの言葉を教えあった。 アイヌ語を教わり、日本語を教えた。
<私たちとオシアンクルはお互いに言葉を教えあった。 三郎が川の水を両手に汲んで、ミズという。 オシアンクルが同じことをして、ワッカという。>
<言葉というものは一つではないということを私たちはあの時に初めて知った。>
彼らは、とても幸せな体験をしたと、ぼくは思う。
続く章「鮭が来る川」は、時代がいっきに下って、大正9年。
由良は成人し、札幌で祝言をあげて、夫とともに静内を訪ねる。
そこには、もう年老いたオシアンクル(五郎という和名に変わっている)がいた。
由良はどうしても亡くなった父(志郎)と、叔父(三郎)のことを、五郎から聞きたかった。
五郎が訥々と語る、アイヌの本音は胸をうつ。
(親友だった志郎の娘とその夫だからこそ、心を開いて語った言葉である。)
<わしらアイヌは獲ったものを横取りされるのには慣れておった。 もう何百年もそういうことが続いてきた。 和人は来て、威張って、勝手なことを言って、アイヌが獲ったものを持ってゆく。・・・>
五郎(オシアンクル)の昔話の中で、鮭の豊漁の年、三郎、志郎兄弟を誘って彼らとともに鮭漁を手伝った時の様子が語られる。 鮭漁は、この時すでに和人が占領していたのだが、この年は鮭が多すぎて管理しきれなかった。 その隙をついて(というよりも、昔からの方法で)アイヌが鮭を自由に獲ったのである。
<アイヌが勝手気儘に鮭を獲れたのはあの秋ばかりだった。 そのいちばんいい秋に三郎と志郎はわしと一緒に川に出た。>
<昔々は蝦夷地はすべてアイヌのものだった。 だからここをアイヌモシリという。 アイヌの静かな大地とういうことだ。 平和な地ということだ。>
(2005/10/25 PM09:17:06)
静かな大地(3)
ニ連発だが、印象が薄れないうちに書いておこう。
池澤夏樹 『静かな大地』 4番目の章 「札幌官園農業現術生徒」 は、夫とともに旭川に渡った由良の許へ、姉の都志から送られ た小包から始まる。
小包の中味は、亡くなった叔父・三郎から、都志・由良姉妹の父・志郎(三郎の弟)に宛てた古い手紙の束だった。
明治10年1月から12月までの1年間、宗形三郎は、札幌農学校に付属の学校(1年制)に寄宿し、農業現術生徒と呼ばれて、農学、牧畜学の実務を学ぶ。 講師はアメリカから来ていて、アメリカ式の農業・牧畜業を北海道に展開するのが目的だった。
クラーク博士で有名な札幌農学校は4年制だったが、こちらは、即戦力を養うための学校。 三郎は、このとき満15歳。 故郷の静内にいた弟(志郎)に宛てて、見るもの聞くもの珍しいものばかりの札幌での体験を綴った手紙である。
三郎はここで、馬鈴薯や唐黍(とうもろこし)の栽培を学び、馬を育て、馬を使って開墾することを実地で学ぶ。
チーズやバターを作ることも、葡萄を栽培して葡萄酒を作ることも、ポップコーンを作ることも、彼らににとって初めての珍しい体験だった。
明治期の北海道開拓に賭けた意気込みが伝わってくる手紙で、興味ぶかい。
(2005/10/25 PM09:57:29)
静かな大地(4)
この池澤夏樹の『静かな大地』を買って初めて読んだのがいつだったのか、過去のメールを探してようやくわかった。 去年の8月の終りだった。
同名の本(花崎皋平=はなざき・こうへい=著、『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』)とあわせて、北海道に住む親しい友人が教えてくれたのがきっかけだった。
あれから一年あまり、アイヌへの関心は高まり、あれこれ調べたり読んだりした後なので、今回の再読では初回に気づかなかったことがたくさん見えてきた。
池澤夏樹は北海道の帯広生まれ。 父親の福永武彦(作家)が戦争のために一家で疎開していた昭和20年にここで誕生した。 彼は著作のどこかで、この小説が自分の先祖をモデルにしたものだと書いていた。 三郎や志郎や由良が作者とどういう繋がりの人物をモデルにしているのか、興味深いことではあるが、わからない。
それはさておき、今日読んだ章「鹿の道 人の道」には、作者のアイヌに対する理解というか、共感というのか、考え方がはっきり出ている個所がある。
シトナという名の、オシアンクル(五郎)の叔父の仲間という設定の人物に、こう語らせている。 三郎が札幌から郷里に戻り、このシトナの協力で牧場を開くための広大な土地を見つけた時のこと。
<「本当によいところが見つかった。早速にも札幌に行って、開拓使本庁に払い下げの申請をしよう。・・・」
・・「何を話している」とシトナさんがアイヌの言葉で三郎さんに問われました。 「この土地を私のものとするための算段です」と三郎さんは答えました。・・・
「なぜだ」と重ねてシトナさんは問いました。・・・>
三郎が、北海道の土地はすべて開拓使(という役所)が管轄しているから、そこに申請する必要があると説明する。
<「それを問うているのではない。なぜ、この土地の所属をシサムのヤクショが決めるか、それが知りたいのだ」
シサムという言葉を聞いて、三郎さんと志郎さんははっとしました。・・・
「それは、それは、アイヌモシリは今は北海道となって、日本のものとなったからですよ」・・・
「納得のいかないことだ」とシトナさんは言われました。・・・
「・・・わしらアイヌが祖父の祖父の祖父の頃から走り回っていた土地が、いつから、どういうからくりで、和人のものになったのだ」>
引用ばかりで気が引けるが、ここに示された考え方、北海道という土地がそもそも誰のものだったのか、いいや、誰のものでもなかったのだ、という認識は、とてもラジカル(根源的)なことである。いや、それは昔のこと、やむを得なかったこと、などという言い訳は通らないと思うのだ。
これは、ぼくら和人の子孫≠フ罪の意識などとは関係なく、人類の根源的な問題ではないのか。
アメリカ大陸やオーストラリア大陸の歴史を思い出せば、誰にでもわかることではないか。
それをごまかしたり、なかったことにしたり、そんなことはできない。
・・・とまあ、長々と理屈っぽく書いてしまったが、これはたぶんぼくの生涯かけてのテーマなのである。
そうそう、この章のはじめに、イザベラ・バードが登場する。
明治11年の夏、三郎が札幌から静内に帰る途中、平取に泊まっていたイザベラ・バード(『日本奥地紀行』を書いたイギリスの女性旅行家)に会った、という設定である。 この部分は事実にもとづいたエピソードかもしれないし、作者の想像から生まれたフィクションかもしれない。 イザベラ・バードの旅の足跡とは、もちろん一致しているが・・・。
(2005/10/26 PM09:10:47)
静かな大地(5)
620ページある本の、まん中あたりにさしかかった。
5章目の 「鹿の道 人の道」 からは、結婚して三人の子どもの母親になった由良が、夫の長吉に、叔父・三郎の追憶を語るというスタイルをとっている。 由良は、この数奇な生涯をおくった叔父のことを、なんとか書き残そうとしている。 由良夫妻が生きている時代は、昭和10年代。 2・26事件や5・15事件が遠い東京でのできごととして背景にあらわれる。
ここで語られる三郎は、遠別(とおべつ)の原野を開拓し、麦、大豆、馬鈴薯などの栽培を試みている時期。
ときに、明治12年の春。
五町×十町=五十町歩という広大な原野の木を切り、切り株を馬力でとり除き、耕すという、気の遠くなるような作業を、アイヌの友人の助けを借りて始めたのである。 いちどは三郎に背を向けたシトナも、三郎の熱意に負けて協力してくれることになった。
ところが、明治13年の秋、この地方をバッタ(アイヌ語でバッタキ=jの大群が襲うという恐ろしい事態が起きる。 せっかくの作物は、地上部分をすべてバッタに食われてしまい、わずかに地中の馬鈴薯で飢えをしのぐ。 ここで、三郎は開拓使からの救援の及ばないアイヌのために、馬鈴薯を提供する。 このことで、彼はアイヌの信頼を勝ち得ることになる。
<和人でも飢えて危ない者がいたら、その時は私もこっそり馬鈴薯を届ける。 顔を見せずに置いてくる。 しかしまず私はアイヌに配る。
三郎さんが馬鈴薯をアイヌに分けると決めたのは、よくよく考えてのことでありました。
これは淡路から共にやってきた和人仲間を裏切ることになる。 ・・・しかし、それはもっと飢えた者の口に入る。>
続く章 「フチの昔話」 では、三郎や志郎、オシアンクルらが、幼い頃に囲炉裏端でフチ=iアイヌ語でおばあさんのこと)から聞いたであろうアイヌの昔話が、由良によって語られる。 ぼくもよく知っている、アイヌのユカラ、カムイユカラである。
<「いい話だなあ」と長吉が溜め息と共に言った。
・・・「すべてに救いのしかけがあるわけだな」
「不遇のうちに亡くなった人も、あるいは熊などの獣でさえ、正しく供養して送れば、神の国に生まれ変わって、幸せな来世での生活ができるのよ」・・・>
という、アイヌの豊穣な物語の数々。
この時、由良の口を借りて語られる福沢諭吉の一節が、じつに興味深い。 あるいは、作者・池澤夏樹の生の声かもしれない、と思う。
<『もゝたろふが(と由良は読む)、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。 けしからぬことならずや。 たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。 ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり』 わたしは福沢諭吉の言うとおりだと思うの」・・・>
長くなるので、続く章 「戸長の婚礼」 は、明日にでも。
いよいよ、この小説も佳境に入る。
(2005/10/27 PM08:50:30)
静かな大地(6)
桃太郎の話の続き。
「フチの昔話」の章の最後で、由良が夫の長吉に福沢諭吉の一文を読んで聞かせたのにはわけがある。
<「福沢諭吉がそんなことを書いているのか」 「ええ、『ひゞのをしへ』という御本」
「桃太郎は卑劣千万か」 と長吉は考えながら言った。 「言われてみればそのとおりかもしれないな。しかも、自分一人ではできないからと、加勢をつのっている。 黍団子で釣って犬と猿と雉を雇い入れている。 これではまるで、松前藩と場所請負の連中の仲とおなじではないか」
「そういうことになるわねえ」
「だが、ここは和人の国だ。 桃太郎の国だ。 みんなが桃太郎になりたがっている国だ。 ・・・桃太郎の話を鬼の側から読むなど、アイヌと和人の仲に重ねて読むなど、誰もすることではないぞ」>
と、まあ、引用を続けていくと、内容の丸写しになってしまうが・・・。
三児の母親である由良は、鬼の妻の立場に自分を置いて考えてしまう。 そこに、さらにアイヌの人たちの姿も重ね合わせているのである。
<「おまえは桃太郎の妻かもしれない。 故郷で舅や姑とのんびりと暮らして待っていると、夫が宝物を持って帰ってくる。 嬉しいことではないか」
「でも、その宝物は血まみれだわ」・・・>
桃太郎の話はこれぐらいにしておこう。
(2005/10/28 PM09:33:53)
静かな大地(7)
延々と続くのである。 7章目「戸長の婚礼」
明治18年、宗形三郎は、当時の静内郡下十六村を束ねる戸長≠ノ任命される。 いまでいう、村役場のようのものが戸長役場≠ナある。
そして、アイヌの友人のところにいたエカリアン≠ニいう娘に惹かれはじめ、結ばれる。
アイヌの人たちの名前には、それぞれ意味があるということらしい。 エカリアン≠ニは、エカリ=遠回り、アン=いる、という意味で、つまり遠回りしたところにいる∞向こう側にいる≠ニいうこと。
この種明かしは、ここでは控えておこう。 この小説を読む楽しみを奪いかねないから。
ここで、いくつかアイヌの考え方、大げさに言うと精神世界にふれておきたい。
この小説で紹介されているし、これまでにぼくが読んだ、萱野茂さんの本などにも繰り返し書かれていることである。
「妻は借りもの」
アイヌは、嫁をもらうとは言わない。 嫁とりをアイヌ語では「マテトゥン」、マッ=妻、エトゥン=借りる。 他人の娘を借りて妻とする、と言う。 借りたものは、場合によっては返さなければいけない。 つまり、夫が妻を粗末に扱えば、妻は怒って元の家に帰ってしまうし、反対に、妻の方も、あまり行いが悪ければ元の家に帰される。
「アイヌプリの婚礼」 アイヌプリとは、アイヌの風習、古式にのっとったという意味。 米を小さな鍋で炊いて、できあがった飯を儀式用の立派な椀(アサマリイタンキ)に山盛りに盛る。 花嫁は、これに箸を添え、丁寧に礼拝して花婿に渡すと、花婿はやはり丁寧に礼拝してこの椀を受け、飯を半分まで食べる。
残る半分と箸を花嫁に渡すと、花嫁はその半分を食べる。
こうして二人は、この先も一つの鍋のものを分け合って、仲よく暮らすことを示す。
次の章 「函館から来た娘」 は、宗形三郎の弟・志郎(由良の父)の結婚譚が、由良の母(志郎の妻)によって語られる場面である。 この章も、なかなか面白い。
舞台は函館。 明治初期の函館の様子がわかって興味深い。
五稜郭にたてこもった榎本武揚の話も出てくる。
その次の章 「栄える遠別」
いまや宗形牧場と呼ばれて繁栄する三郎とアイヌたちの牧場が舞台。
遠別(とおべつ)は、日高地方の静内の南東。 今は東別と呼ばれているあたりか。
三郎にも志郎にも子どもができて、彼らがアイヌの人たちと共同で始めた事業が、もっともうまく行っていた時期である。 しかし、一方では和人からの妬みも受け始める・・・。
波乱を含みながら物語は続く。
(2005/10/28 PM09:50:57)
静かな大地(8)
10章目 「砂金掘り」 は、日高の山奥に入って砂金を採っていた男の独白である。
この頃(明治期)、山奥の川でずいぶん砂金が採れて、一種のゴールドラッシュのようだった。 アイヌの木彫り職人に、砂金掘りに使う道具「揺り板」と、背負子(しょいこ)を作ってもらったり、熊に出会ったエピソードが興味深い。
彼は、砂金掘りに山に入る途中、宗形牧場に立ち寄り、十日ほど居候して牧場の仕事を手伝う。 その思い出をこう語る。
<あれはよい夏であった。 暑いさなか、汗を流して働いて、夕方みなで川へ行って身を洗う。 さっぱりして大きな家に向かうと、飯が出てくる。 ・・・食い物もうまかった。 牛肉と馬鈴薯の煮付などあそこで初めて食った。 牛乳というものもたっぷり飲まされた。
みなが話すのはアイヌ語で、わしにはわからんが、それでも和気藹々、みなが仲がよいことは伝わった。・・・まことよい夏であった。 ・・・アイヌはよい、とわしは思った。 アイヌのことを悪く言う者の気が知れない。>
続く章 「チセを焼く」 モロタンネという名のフチ(老婆)が亡くなる。 モロタンネはトゥキアンテ(勉蔵)の母、オシアンクル(五郎)の祖母にあたる。 炉辺でユカラやウウェペケレ(昔話)を語った偉大なフチ。
ここでは、アイヌの葬儀のやり方が詳しく述べられている。 死装束を着せ、墓標を作り、死者に言葉を付ける。
作者池澤夏樹の考え方がよく出ている部分。
<総じてアイヌは言葉の民である。
民族には得手不得手があるらしい。 人でも、ある者は音楽に秀で、ある者は細工物がうまい。・・・民族もまた同じ。 そしてアイヌの場合は言葉の力、物語る力が抜きんでていた。 そうでなくてどうしてあれほどのユカラ、無数のウウェペケレ、さまざまな神や英雄や動物や美女や悪党の物語が残せるだろう。>
ところで、この章では物語の行く末を暗示するような事件が起きる。
起承転結の転≠ノあたる章である。
アイヌの古くからの習俗として、死者の身の回りの道具を傷つけ、焼いて、あの世に送らなければいけない。
また、古くはチセ(住まい)も焼いて、あの世に送ることが行なわれていたが、これは明治政府によって禁令が出されていた。 だから、この頃にはチセを焼くことはしなくなっていたのだ。 ところが、このフチのチセが焼けてしまったのである。
息子のトゥキアンテは、この件で警察に連れていかれ、札から赴任してきていた巡査から拷問に近い暴行を受けて、十日間も拘禁される。
さらに、宗形三郎も、この事件が元で新聞記事でいわれのない誹謗中傷を受ける。
<記事にあった牙城という言葉を三郎はアイヌの言葉でチャシと呼んでみなに伝えた。 この言葉を聞いてみなの頭には染退川(しべちゃりがわ)の南岸真歌(まうた)の丘にあったというシャクシャインのチャシのことが浮かんだ。>
オシアンクルは、宗形牧場をシャクシャインのチャシに重ねあわせてしまうことを、縁起が悪い、と考える。
その後、三郎の前には怪しい和人・松田某があらわれ、にわかに暗雲が漂う・・・。
今日は、これに続く章 「神威岳」 まで読んだのだが、続きは明日にでも。
(2005/10/31 PM09:51:23)
静かな大地(9)
この長い物語も、佳境にはいった。
「神威岳」(12章)は短い章だ。
神威岳(カムイヌプリ)は、日高山脈の標高1600メートルの山。
日高からこの山を越えた東側が十勝の国である。
和人と喧嘩をして警察に追われたアイヌの若者をかくまい、冬の山越えをして十勝に逃がしたエピソードが、二人の人物の思い出話として記されている。
その一人、ニプタサという若者(三郎の牧場で働く)のことば。
<そうやってぼくたちはイナオクテと別れて、同じ道を戻った。 空が晴れた。 行きには霧と雲で見えなかった景色が、帰りは遠くまでくっきりとよく見える。 日高側への分水嶺まで登ったところで、左手に立派な山が見えた。 ・・・カムイヌプリ。神威岳だ。 白くて、大きくて、綺麗だった。 あそこにカムイが本当にいらっしゃるとぼくは思った。>
「馬を放つ」
宗形牧場を暗雲が覆う。
きっかけは、あの松田という男の訪問。 彼がどうやら、中央政府の周辺から、宗形牧場の乗っ取りを画策している様子。 三郎は、札幌まで出かけてこの男に会い話を聞くが、結局、資金提供の申し出を断わる。 この後、宗形牧場をとりまく様子がおかしくなる。
税務署の時ならぬ査察がある。 軍馬注文が来なくなる。 そればかりか、静内からもどこからも仲買人が来ない。 このピンチをなんとか凌いだところへ、宗形牧場の馬房が放火で焼けるという事件が起きる。
そのさなか、三郎が山の中で野宿した時、夢の中でキムンカムイ(熊の神)からカムイイピリマ=iお告げ)を聞く。
<三郎、よく来たな、と熊が言った。 ・・・わしの言うことを聞け。>
<昔、たくさんの和人がやってきた。 わしらアイヌモシリの神々は和人を迎えて心おだやかでなかった。 ・・・わしらアイヌの神々は、バチェラーさんが唱えるキリスト教の神のように強くはない。 その代わり、あの神のように遠くにもいない。 狩る者と肩を並べ、食べる家族と囲炉裏を囲む。 そういう神々の中から、本当にアイヌを知る和人という言葉が出た。・・・>
<アイヌの友として育てられたのが私ですか、と三郎は小さな声で言った。 熊の神キムンカムイはうなずいた。>
14章 「あの夕日」
シチュエーションがこの物語の初めに戻って、老いた父・志郎が幼い娘・由良に語りかけるスタイル。 三郎と宗形牧場を襲った悲劇を語る。 この物語の山場である。
したがって、詳しい筋は書かない。
ここでは、興味深く感動的な一節を引用しておこう。 宗形三郎の言葉。
<アイヌについての私の姿勢を固めるについて、力を頂いた方が一人いた。 ・・・名はバードさんと言われた。 婦人の身でありながら異国を広く旅して見聞を広め、それを本に書いて衆生の蒙を啓くことを生涯かけての営みとしておられる。 そのために北海道まで来られた。
この方が、和人の通訳がいないところで英語で話していた時に、アイヌは気高い人種だと私に言われた。
私ははっとした。 幼い頃から慣れ親しんで、だから大好きなアイヌであった。 だが、周囲の和人はみなアイヌなど眼中になくただ開拓に勤しんでいる。 私がアイヌと交わるのを白い目で見ている。・・・>
<交わってはいたが、あの時までは私の思いはまだ友情と同情であった。 自分は自分、アイヌはアイヌと思っていた。しかし、バードさんの一言で私は開眼した。
アイヌは気高い人種だ、というバードさんの言葉が私を変えた。・・・>
いよいよ残るはあと一章だ。
(2005/11/01 PM09:01:00)
静かな大地(10) 最終回
終章 「遠別を去る」
時は下って昭和13年。 由良は伯父・宗形三郎の伝記を書き終える。
三郎も、その妻の雪乃(エカリアン)も、シトナも、とうにいない。
由良の父・志郎も、数年前に亡くなった。 由良は、「宗形三郎伝」を父の遺志を継ぐ気持ちで書き上げたのである。
父の法事のときに、由良は父と伯父の友人だった人物から、伯父・三郎の本心を聞く。
三郎が友人に語った言葉。
<裏切り者なのだよ、私は。 あの時に私は腹を決めたのだ。 もうアイヌの側に立つしかない、半端なことではいけない。 自分は生涯この道をつらぬくのだ、とな。>
<私は遠別で馬を育て、作物を育てる。 それについてはいささか自信がある。 うまくゆけばやりかたを和人にも伝授しようと思っている。 ・・・だが、この遠別ばかりはアイヌのものだ。 ここに和人は入れぬ。>
そうとうな覚悟である。 このような人物が実際にいたのかどうか、誰かモデルがいたのか、作者に聞かないとわからないが(実は知っているが)、そんな穿鑿はともかく、作者の気合いが伝わってくるくだりだ。
最後に、由良の独白が胸を打つ。
<滅びゆく民、という言葉がわたしは嫌いだ。 まるで放っておいたら滅びたかのような言いかた。 滅ぼす者がいるから滅びるのではないか。>
終章の後に、二つの短いエピローグが置かれている。
「熊になった少年」 「今は亡き大地を偲ぶ島梟の嘆きの歌」
カムイユカラを思わせる詩的な内容であった。
あーあ。 終わったな。
長編小説の醍醐味を満喫した二週間だった。
(2005/11/02 PM09:44:34)
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